映画『関ヶ原』レビュー

映画

 先日の三連休中に、映画『関ヶ原』を妻と観てきた。

 この映画は関が原の戦いを描いた作品である。このいくさの後、1603年に家康は朝廷から征夷大将軍を任命され、江戸幕府を開いた。1614年には大阪冬の陣、1615年には大阪夏の陣と豊臣側との戦もあったが、これは豊臣家の終焉であって、戦国時代に終止符を打ったのは、天下分け目の戦いと言われる関が原の戦いだろう。

 秀吉が死去したのが、1598年9月18日。関が原の戦いは、1600年10月21日。秀吉の死後わずか2年1ヶ月余りで関が原の戦いが行われ、まさに風雲急を告げる期間だったのである。

 したがって、わたしがこの映画に期待したのは、関が原の戦いは元より関が原の戦いにたどり着くまでの家康と三成の動向がどのように描かれているのかも楽しみにしていた。

 しかし、この映画では、秀吉の死後、天下取りの野心が一気に吹き出した豊臣家五大老筆頭の家康が、豊臣家恩顧の大名たちを取り込むためにどうように根回しをしていったのか、そしてそれを阻止しようとする豊臣家に義を貫く豊臣家五奉行の三成の心中は如何なるものだったのかが描ききれていなかった。

 物事には起承転結があるように、映画にも起承転結がある。
 男女の営みで例えるなら、
 ・起:然るべき処に入る(ドキドキの時)
 ・承:いんぐりもんぐり(ワクワクの時)
 ・転:合体(絶頂の時)
 ・結:果てる(安堵の時)

 起・承があるから(転のために起・承があるのだから)転で感動し、結でほっとする。これが起承転結だと思うのだが、上映時間2時間30分のこの映画は、終始セリフが早口でブルーレイの再生を1.5倍速で観ているような感覚になり、時折セリフが何を言っているのか分からないこともあり、バタバタと忙しく進み、肝心の関が原の合戦シーンになるまでに、ワクワク感も起こらず、合戦シーンも騒々しいだけで手に汗握ることもなく、映画が終わった後はため息を漏らすほどで、結果オードブルばかりが次から次へと出され、メインメニューがなく、デザートで締めくくられた、なんちゃってフルコース料理をいただいたようだった。

 関が原の戦いで絶対に外せない登場人物は、徳川家康と石田三成である。この二人以外は全て端役でいいじゃないか。文末に登場人物の相関図のリンクを貼ったが、これだけの人数を描こうとするのは無理がある。一昨年観た『日本のいちばん長い日』と同じだ。原作者(小説)の故・司馬遼太郎氏がこの映画を観たらどんなレビューをしただろうか。

 結局、わたしがこの映画で印象に残ったのは、家康でも三成でもなく、役者が好きだとか嫌いとかでなく、東軍につくか西軍につくか葛藤する小早川秀秋と、三成に惹かれていく伊賀の忍びの初芽だった。

 それから、合戦シーンではなぜか大砲使いの朝鮮人兵を登場させていたが、島津の退き口を描いたほうが遥かに良かったのではないだろうか。

 水野晴郎風に3段階評価すると、
「いやぁー、映画ってほんっとうに面白いものですね」
 だった。
(-。-)y-゜゜゜

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