ボンネットバス

思い出
ボンネットバス@Wikipedia

 成人して間もない学生の頃、始発停留所から乗車した路線バスの左側先頭座席に座った時、新型車両だったことと、発車時刻まで少々時間があったので、
「最近のバスは、パワーステアリングで楽になったでしょう」
 と、運転手さんに話しかけたことがあった。

 すると、運転手さんは、
「いやぁ、昔(重ステ)の方がよかったですよ。身体を鍛えられましたからね。このハンドルになってから力もなくなりましたよ」
 と、返事をして、続けて、
「運転手は胃潰瘍が元で亡くなるのが多いんですよ。同じ路線を20年走り続けている運転手もいますよ」
 と、言った。

 なるほど、乗客という人命を乗せて、路線によっては、交通量が多かったり、渋滞もあったりして、同じ路線を毎日何往復もしていると、ストレスも貯まり心労が耐えないのだろうと思った。

 1960年代後半の幼年期、自宅付近に新路線のバスが走るようになり、ボンネットバスも数台まだ走っていた。わたしは珍しさもあり、このボンネットバスに乗るのを楽しみにしていた。

 母の話では、この頃から少し遡る、わたしが物心付くか付かない頃、ほとんど毎日のように自宅から12〜3分歩いたところにある市内循環バスの停留所から、わたしをバスに乗せて1周していたそうだ。「いつも一番前の席に座り、大人しく外を見ていたよ」と、言っていたが、そのくらい、幼年期のわたしは、バスに乗り、左側先頭座席に座るのが好きだったようだ。

 したがって、わたしはボンネットバスでも、当然左側先頭座席に座ったのだが、いざ座ってみると、ボンネットバスは、前方のボンネットが邪魔をして、子どもの座高では前方がほとんど見えず、つまらなかったのを覚えている。とほほ。

 当時の運転手さんは、ガッシリした体格の人が多く、特に腕が太かったように思える。ボンネットバスは重ステだったのだろう、道路を右左折するとき、運転手さんは、座席から尻を浮かせ中腰になり、両脚をぶんばりながら右足でアクセルペダルを踏み、力強い腕でハンドルを回していたが、中には、口から「いよっ」と、息を漏らしながらハンドルを回す小柄の運転手さんもいた。

 運転手さんにとって、重ステバスの右左折は一苦労だったと思うが、くだんの運転手さんが言われるとおり、重ステバスは身体が鍛えられたのだろう。それからしばらくして、わたしが住む地域の路線からボンネットバスは無くなった。
(-。-)y-゜゜゜