血液型を調べたら…家庭崩壊の危機に陥った件

思い出

 わたしは中3の時、幼少からお世話になっていた医院で血液型の検査をした。それまで自分の血液型が分からなかったからだ。現在では赤ちゃんが生まれたとき、病院では血液型を調べるようだが、わたしが生まれた当時はそれがあったのかなかったのか、両親もわたしの血液型を知らなかった。

 父はAB型、母はA型だったので、わたしの血液型は、A型、B型、AB型のいずれかになるのだが、血液型検査の日のことだった。血液型の性格や相性に興味があった母は、普段のわたしの態度と、AB型の父と、自分のB型の友人や知人を比較した結果から審判したのだろう、
「おまえはだらしがないから、B型だよ」
 と、言った。
 わたしは、なぜB型がだらしないのか、分からなかったが、
「AB型ってことはないの?」と、聞くと、
「それはない」と、一蹴され、
「A型は?」と、聞くと、
「おまえがA型なんてありえない」と、自分の血液型と同じ几帳面と言われるA型のテーブルには、間違っても着席させたくない言われ方をされた。

 後年、母は「B型の人は大っ嫌い=3」と、言うこともあった。しかし、自宅の前でよく立ち話をしていた向かいに住む奥さんはB型だったし、「飲んでいてほんと楽しくて愉快、いい人」と、称賛していた叔父もB型だったので、
「向かいの奥さんも、叔父さんもB型だけど」
 と、わたしが指摘すると、
「向かいの奥さんは別。叔父さんはいいの、ホホホ」
 と、母は、自分が言っていることの矛盾を知りながらも、悪怯わるびれることもなく、どこ吹く風で返すのである。

 また、母は、B型以外にも「O型はいい加減で信用できない」「A型はギスギスしててイヤ」「AB型は言いたいことをズバズバと言うからキライ」と、すべての血液型に対して嫌気がさす事を言うこともあり、加えて、「AB型がいちばん付き合いづらい」と、言ってたのに、母が全幅の信頼を寄せ、高校時代からお付き合いを続けていた、無二の親友はAB型だったのだ。

 母が血液型に興味を持ったきっかけは知らないが、母の血液型の性格や相性の診断は、それを裏付ける根拠も正当性もないものだらけの、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるだったと思う。

 確かに血液型は、A型・O型・B型・AB型、それぞれの気質は見受けられると思うが、そもそも人間の性格や相性・好き嫌いは、血液型で決められるものでも、決めるものでもない。意味のない馬鹿げたことで、愚の骨頂だと、わたしは言いたい。

 さて、医院での血液型検査では、事前に父がAB型で母がA型であることを告げて、検査を受けたが、先生の口から出た検査結果は、「O型ですね」だった。

 ん…? AB型とA型の両親からO型の子どもは生まれるのか? 先生の顔は、気まずそうに見えた。
「あの~、父がAB型で、母がA型なんですけど…」
 と、先生に尋ねると、先生は戸惑った表情をして、
「そう…う~ん……」
 と、歯切れの悪い口調になり、回答もせずに口ごもってしまったので、わたしもそれ以上は問い詰めることはせずに医院を後にした。

 中3にもなれば、精通も済ませ、自我に目覚め、大人になった気でいる背伸び年齢で、大人の気持ちも多少は分かりだす頃だ。わたしは、医院から自宅までチャリンコで帰ったが、普通の中3の男の子だったら、『これってまずいよな』と、道すがら不安になるはずだ。

 しかし、わたしは帰宅した数分後に、なんかとんでもないハプニングが起こるのではないか。もし、わたしがふたりの子どもでなかったら、いったい、わたしは誰の子なのか、それを考えただけで、ワクワクドキドキして興奮して帰宅したのである。状況を全く理解出来ないノータリンの中3の息子だったのだ。

 帰宅して、居間に入ると、母はわたしに背を向ける位置の座椅子に座り、テレビを見ていた。

「ただいま」と、わたしが母の背後で言うと、

「おかえり、何型だった?」

 と、母はテレビから視線を逸らさずに聞いてきた。

 わたしは、次の自分の一言で、母がどういう挙動をするか想像しながら、再び母の背後で、

「O型だったよ」

 と、言うと、母は、

「え゛ー!」

 と、一旦は驚いたものの、すぐに、

「あー、それじゃぁ、お父さんが間違っているんだ」

 と、わたしの方を1度も振り向くこともなく、視線はずっとテレビを見たまま、動揺することなく冷静に答え、わたしの期待を裏切る反応をした。

 なぜ、母は動揺しなかったのか。きっと、母には、「おまえは間違いなく、お父さんとお母さんの子だよ」と言う、夫への妻としての愛と、わたしを産み育てた母親としての絶対の自信があったのだ。そして、母は前年に手術をしたので、間違いなくA型であったが、父の血液型は戦争中に調べたものだったのだ。

 当時、自宅の隣に住んでいた奥さんが、父と同じように戦争中に血液型を調べたらA型と診断され、A型の患者に輸血をしたら、しばらくしてその患者は痙攣(拒絶反応)を起こして亡くなったそうだ。戦後、奥さんは再度血液型を調べたらB型であることが判明した。このようなことは、この奥さんに限ったことではなく、戦中戦前の血液型検査では間々あったようだ。

 母はこの話を隣の奥さんから聞いていたので、母の第六感が “お父さんの血液型が間違っている” と、働いたのだ。

 さて、わたしがO型と知った父は、ふためきはしなかったが、慌てだした。父が15年もの間、他人の子のわたしを、せっせと養っていたことになるからだ。

 父の動揺ぶりは、その晩の夕食をどんよりと暗くした。顔を強張らせ、厳しい表情で何も喋らずに黙って静かに食事をしている父の様子を見ていたわたしも、ようやくこれはやばいのかな? と感じ、母は、
「きっと、お父さんの血液型が間違っているのよ、明日検査に行ったらいいじゃない」
 と、屈託のない笑顔で父にファイト! を送っていたが、父は重い声で「うん」と、言ったきり、また黙ったまま食事を続けた。

 そして、翌日、不安を抱える父は、早速出勤前に同医院へ赴き、血液型検査をしたのだが、なんのことはない、母が言ったとおり、父の血液型はO型と診断され、父はわだかまりが解消され安堵し、家庭崩壊の危機を脱することができたのである。

 後日、母が定期検診で医院に行った時、先生は、
「息子さんの血液型がO型だったときは、気まずい思いをしました。そうしたら翌日ご主人が来られ、『血液型を調べて欲しい』と、言われたときは、頭に “家庭崩壊” の4文字が浮かびました。ご主人がO型だったときはホッとしました」
 と、母に笑いながら話したそうだ。

 希少AB型の特徴は「冷たい」「変人」「近づきにくい」「天然」など、あまりよくないイメージを連想されるが、その反面「頭が良い」「冷静沈着」「器用」「平和主義」と、言われていたので、父は自分が希少AB型であることにある意味 “誇り” を感じていて、国から名誉勲章をいただいたような気分だったのかもしれない。

 わたしが血液検査に行く前、居間でお茶をすすりながらくつろぐ父に、血液型を聞いたことがあったが、父は威厳を持って「AB」と答え、母から、
「AB型の人って、頭がいのよね」
 と、おだてられると、だろ〜って態度をあらわにしていたのを思い出す。

 父の血液型がO型と判明した夜、帰宅した父は、
「O型だったよ」
 と、大笑いしながら言った。
「へ〜、頭のいAB型じゃなくて、O型だったんだ」
 と、わたしが言うと、
「うるさい」
 と、父は苦笑いしながら返してきたが、希少AB型の称号が剥奪されたショックが多少はあったのかな。

 そして、母は母で、
「おかしいなぁと思っていたのよ。AB型にしたら、どこか抜けている感じがしたのよね」
 と、父に言いだし、わたしには、
「おまえはO型だから、だらしがない」
 と、父のいないところで、ときどき言うようになった。
 だらしがないのは、B型だったんじゃないんかい💨 何枚もの自由自在の舌を持つ、なんじゃらほいのA型の母だった。
(-。-)y-゜゜゜