〇〇って名前には、ろくな奴がいない

日常

 家族で夕食を取っているときのことだった。テレビで汚職だか窃盗だか殺人だかで逮捕されたニュースが流れていたとき、容疑者の名前が出た途端、
「ほんと、○○って名前には、ろくな奴がいない!」
 と、お義父さんが、突然言い出したのだ。

 どういうことなのかな?
 と、おとうさんの話を聞いてみると、どうやら、過去に○○という姓の人と仕事上のトラブルがあり、こっぴどい目に合わされ、また、他にももひとり同姓から似たような痛い経験をさせられたため、それ以降○○という姓を聞くだけでフラッシュバックされ、○○を親のかたきのようにみ嫌い、冒頭の言葉を発したようだった。

 こんな話を聞いてしまうと、なんとまぁ、大人気のない子どもじみたことを…。と、思うのが自然だろうが、わたしはおとうさんのこの話を聞き終わった時、自分と同じような考えを持つ人っているんだなぁと、まるで無人島で人間に会えたような、嬉しい感覚に包まれたのだ。ただ、おとうさんの場合、なんのとがもない○○さんまでも罪人扱いされてしまう要素を含んでいるので、わたしの場合とは性質が少々異なる。

 わたしは、今までの経験から、姓に “●” がつく人が苦手のようだ。なんでそう思ったのかと言うと、以前、過去を振り返ったとき、楽しかった思い出と同時進行にヘイトな出来事も大なり小なりあったのだ。例えば、職場の人間関係は充実していたが、あの人だけは、反りが合わなかったとか、自分だけには攻撃的な態度だったとか。

 わたしは、過去を振り返りながら、ヘイトな思い出を残していただいた人たちも頭に浮かべているうちに、あれ? この時のこの人と、あの時のあの人の姓には、“●” がつくことに気がついたのだ。

 そして、更に思い出を遡ると、またヘイトな人の姓には “●” がある。社会人のみならず、短大高校中学果ては小学校まで遡ってみると、教師でも生徒でもなんらかの弊害をわたしにもたらしてくれた人たちの姓には、皆 “●” の文字がついていたのだ。当然、嫌な思いをさせられた人には、“●” が付かない人もいるが、“●” のように繋がることはない。決して、むりくり “●” がつく人だけをターゲットにしたわけではない。悪意も誇張もない。事実なのだ。

 足元をすくわれたり、無理難題を押し付けられたり、こちらの誠意が伝わらなかったり、反りが合わなかったり、イラッとさせられたりなどなど、誰も彼も蚊帳の外に追いやりたい人たちだったのだ。

 そして、今でも顔合わせ等で名刺交換をするとき、相手の姓に “●” の文字がくっきりと印刷されていると、苦虫を噛み潰す表情を押し殺し、接し方に用心せざるを得ない気持ちになるのだ。

 反対に、面白いことに、わたしの姓の1文字を姓に持つ人は、今も昔も好印象の人が多い。そりゃちょっとした嫌な思いをさせられた人もいたが、低評価の人でもイーブンパーで、悪印象の人はいない。

 例外として、わたしの姓の1文字を姓に持つ人でひとりだけ、なんとなく、これからの半生、関わらないほうがいいんじゃないかなぁと思っている人はいる。しかし、仕事で散々の思いをさせられたわけでも、嫌がらせや脅迫を受けたわけでも、喧嘩別れをしたわけでもない。久しく会っていないが、もし今、街で偶然会ったら、「よ〜、超〜久しぶり」と、再会を喜び合い、飲むこともできる好印象の人なのだが、わたしの第六感が「会わないほうがいいんじゃね」と、働くのである。なんでだろ?

 以上、非科学的なことではあるが、“袖触れ合うも他生の縁” という非科学的な言葉を「そういうのってあるかも」と、信じてしまうように、わたしは「姓の相性もあるかも」と、思うのである。
(-。-)y-゜゜゜