平成から令和へ

日常

 昨日、新元号「令和れいわ」が発表された。新天皇即位の来月5月1日が使用開始となる。

 平成時代を振り返ると、1989年(昭和64年)1月7日、わたしはちょうど客先へ向かうタクシーの中のラジオで、新元号の発表を聞くことになるのだが、なかなか会見が開始されなくてね、ようやく小渕恵三官房長官(当時・後の首相)が、話しだしたと思ったら、落語でいうところのマクラがはじまり、本題の新元号を焦らすようにしてなかなか言わない。発表を聞く前に客先に着いて降車してしまうのではないかと、イライラしながらラジオに耳を傾けていたが、「新しい元号は、平成であります」と、聞き、ホッとしたのを覚えている。25歳のときだった。そして、翌1月8日、昭和から平成へ改元された。

 ちょうど、その頃。うるわしきは置いといて、独身生活を謳歌していた妻は、会社の有給休暇を利用して、どっかの寒いところの雪山で、会社の同僚らとスキーを堪能していて、スキー場のスピーカーから流れた放送で、新元号を知ったようだが、聞き取りづらかったらしく、キレキレの一般常識を持った皆さんは、
「け・い・せ・い…?」
「けいせいって言ったよね」
「京成なの!?」
「京成だって!」
と、口々に「京成」を連発して、新しい元号が「京成」に決定したものと、嬉々として喜び、誰一人疑うことをしなかったらしい。

 鉄道会社の名前をつけるわけがない。「新しい元号は東急であります」「阪急であります」「小田急でございます」なんて、ないないない。妻をはじめ、ご同僚の皆さんは、純真無垢なお仲間だったようだ。

 テレビで、ある有識者が当時を振り返って、「平成には反対だった」と、言っていた。明治、昭和は発音がしっかりと終止するが、平成は大正と同じように、流れる感じがしたのであまり長くは続かないと思ったそうだ。

 しかし、ひと昔10年と言われる通り、平成の31年間は、決して短くはなかった。平成時代の幕開けはバブル期だったが、その後バブルが崩壊。街並みはつわものどもが夢の跡のように閉塞感を漂わせ、景気は失われた20年と言われ低迷を続け、幾度となく大小の天変地異も起こり、世間では醜悪な事件、悲しい事件や辛い出来事もあったが、最大の人災である憎しみしか残さない戦争は日本にはなく、国中が感動した出来事や楽しかったこともたくさんあった31年間だったと思う。平成とは「天地、内外ともに平和が達成される」という意味だが、人間万事塞翁さいおうが馬だったね。

 さて、令和とは、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」と言う意味だ。ちょっと、キレイすぎる元号にも感じるが、いい元号だと思う。また、くだんの有識者の受け売りになるが、令和は、明治・昭和と同じように発音が終止するのがいい。令和という新しい時代の社会を良くも悪くも、明るくも暗くも、楽しくも詰まらなくもするのは、わたしたちの心がけ次第だろう。

 わたしにとって、令和は最後の元号になるのかな。いや、5月に天皇へ即位される皇太子さまは、わたしより3つ歳上なので、わたしは、24時間365日完全介護を必要とする、おいおいのボケ老人になりながらも生きながらえて、次の元号を向かえる可能性はあるかな。←新元号発表早々、不敬な発言でした、すみません。
(-。-)y-゜゜゜